第3回 上野原の戦い
せっかく和を結んだが、謙信の家臣であった大熊政秀が武田信玄の策略にあい武田方に寝返ったため、破れてしまった。謙信がこの宿敵を佞臣とか逆賊などと罵倒し、弘治3年(1557)信州更科郡の更埴八幡宮への願文に「武田晴信という佞臣が信州に乱入し、理由もなく万民を苦しめることは、神を恐れぬ蛮行である。晴信に恨みはないが、断じて許すことはできない。一団扇をもって信州に平和を取り戻し、天下に家名を興したい。」と訴えている。信玄は政秀を使って越中から越後を攻めさせようとしたが失敗。しかし謙信方の葛山城を奪取した。これに怒った謙信が信濃に出兵し、上野原で激突したが、両軍とも戦果をあげることができなかった。

